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2018年9月18日

織田 作之助(おだ さくのすけ) 俗臭

織田 作之助(おだ さくのすけ)

終戦後太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。

1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町にて、仕出屋「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。
昭和6年、第三高等学校(新制京都大学教養部の前身)文科甲類に合格を果たす。
昭和9年、卒業試験中に喀血し、白浜温泉への転地療養を余儀なくされる。その後復学はするものの結局1936年(昭和11年)に出席不足で退学。

昭和14年9月には『海風』6号に「俗臭」を発表。この作品は、義兄竹中国治郎の長兄・吉川重太郎の生涯に題を得たものだが、これが翌年、室生犀星の推薦で芥川龍之介賞候補作となって注目を集める

2018年9月14日

坂口 安吾(さかぐち あんご)小説家、評論家、随筆家 について


坂口安吾 作家  小説家 東洋大学

坂口安吾氏には独特の力と個性があります。
是非一度は読んで欲しいと思います。


坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。

2018年9月12日

未来のために 坂口安吾 


坂口安吾  

織田作之助が死んだ。「可能性の文学」は日本文学に対する彼の遺書的な抗議であつたが、実は、これくらい当り前の言葉はない。  織田はアンチテエゼだと自ら述べているのだが、文学における可能性とかウソというものは、実はオルソドックスだつたので、そこに日本文学の悲劇もあつたし、織田の悲劇もあつた。